ブランディング
父のために、会社をひとつつくった
なぜ創業者が僕で、2代目が父なのか|継がせるのではなく渡す

昨日、もうひとつの会社の話を書きました。
株式会社ヴィンテージストック。創業したのは僕で、いまの社長は父です。
世の中の会社はたいてい逆で、親がつくって子が継ぎます。うちは僕が立ち上げて、2代目が親。
「経緯はまた近いうちに」と書いたので、今日はそれを。
結論から言うと、継がせるためではなく、渡すためにつくった会社でした。
退職した祖父が、とたんに変わった
きっかけは、祖父の病気です。
祖父は仕事を退職して、隠居生活を始めました。そこからだんだんと、アルツハイマー病になっていきました。
ある日いきなり、ではありません。少しずつです。でも振り返ると、始まりは間違いなくあのときでした。
それまで毎日仕事に出ていた人が、行く場所をなくした。何をしてもいい時間が、急に全部来た。そこからでした。
家系というものがあります。医者に言われたわけではありませんが、自分も、そして父も、同じリスクを持っているだろうと思っていました。
正直に言うと、怖かったです。
父が定年で仕事を終えたら、祖父と同じことが起きるんじゃないか。その日は、確実に来る。
だから、隠居後の仕事をつくった
それで考えたのが、父に「隠居後の仕事」を先に用意しておくということでした。
父は技術屋です。電電公社から、NTT、そしてドコモへ。 国営から民営に変わっていく時代のまんなかで、国のインフラを電気回路の技術者として支えてきた人です。移動通信の仕事に移るときに第一級無線技術士の資格を取って、現場でずっと機械を触ってきました。
オーディオも好きで、若い頃は雑誌『ラジオ技術』を見ながら、真空管のラジオを自分で組んでいました。
その人が、退職後もできて、楽しくて、しかもお金になること。
オーディオのリユース事業でした。
仕入れの目利きも、機械の状態の判断も、修理の可否も、父にはできます。僕にはできません。逆に、サイトも集客も僕にはできる。父にはできません。
会社をつくって、僕が創業者になり、父に社長をやってもらった。順番が逆なのは、そういう理由です。
初年度で年商2,000万ちょっと。すぐに黒字になりました。父が老後の趣味の傍ら、片手間でやる仕事としては、かなり良い状態でした。
ところが、そこから伸びなくなった
数年して、止まりました。
オーディオ買取は、参入障壁が低い商売です。競合が一気に増えて、リスティング広告の単価が上がって、買取金額も上がっていきました。
どのサイトを見ても、書いてあることは同じです。
「高額買取」「業界No.1」「査定無料」。
こうなると、お客さまが比べられるのは買取金額だけになります。一昨日の記事に書いた、あの状態です。価値を一言で言えない会社は、価格でしか比べてもらえない。
そこで、自分の会社を実験台にしました。
「ジャズ喫茶のマスターだよねぇ」
競合22社に電話をかけて、見積もりを取りました。屋号、見積額、電話対応の感想、対応した人の性別と予測年齢まで記録しました。「2m近くの巨大スピーカーなんですが」「50kgを超えるアンプなんですが」と難題もぶつけて、対応を見ました。
お客さまにもアンケートを取りました。答えてくれた方には信州そばを送りました。
そのうえで、チームで話し合ったときのことです。
「信頼、安心があって、本当に高額買取してもらいたい。自分たちだったら、そんな時に誰に相談する?」
「ジャズ喫茶のマスターだよねぇ。」
これでした。
信頼できて、詳しくて、押し売りしない。同世代で話が合う。その人が「これはいい機械だよ」と言えば信じられる。ジャズ喫茶のマスターです。

言葉を、全部の接点に落とした
決めたら、あとはそれを全部に落としていきます。
- サイトには父の顔と笑顔を大きく出した。素性を隠さない
- スタッフの昔話を全文載せた。少年時代のこと、資格のこと、山と釣りのこと
- 「V9時代の巨人軍をオーディオに例えたなら」という記事を書いた。同世代が読んで楽しい話を
- 倉庫の壁をジャズ喫茶のような板張りに変えて、ジャズのレコードジャケットを並べた
- メールの文面を全部書き直した。「!」は使わない。シニア世代の言い回しに合わせた

1年後、前年比でこうなりました。
| 指標 | 前年比 |
|---|---|
| 売上 | 約1.5倍 |
| 見積依頼件数 | 約2倍 |
| ページビュー | 約2倍 |
| 平均閲覧時間 | 1.8倍 |
| 直帰率 | 13%改善 |
買取金額を上げたわけではありません。誰に向けた店なのかを、決めただけです。
これ、経営に置き換えると
事業承継の話は、たいてい「誰に継がせるか」から始まります。
でもうちは逆でした。誰に渡すかから始まっています。
継がせるのは、自分の都合です。会社を残したいから、継ぐ人を探す。
渡すのは、相手の都合です。その人が、明日も行く場所を持っているように。
祖父を見て思ったのは、仕事は生活費のためだけのものではない、ということでした。行く場所があって、自分にしかできないことがあって、誰かに必要とされる。それが人を立たせている。
退職は、その全部が一日でなくなるということです。
だから僕は、父が定年を迎える前に、行く場所を1つつくっておいた。それだけの話です。
今日できる一歩
親御さんがそろそろ仕事を終える、という方がいたら。
「何をして過ごすか」ではなく、「どこに行くか」を一緒に考えてみてください。
趣味は、行く場所にはなりにくいです。誰にも必要とされないからです。
小さくてもいいので、人に必要とされる場所。それが1つあるかどうかで、その後がまったく違ってきます。
父はいまも社長です。この前の遺品整理の案件も、現場を見て「これは持ち出す、これは置いていく」と判断したのは父でした。
さあ、いこうか😆
P.S.
この話、じつは社外の研修でも話しています。「親父のブランディング物語」というタイトルで、52枚のスライドにしてあります。
自分の家族の話を教材にするのはどうなんだ、と思ったこともありました。でも聞いた方から毎回「うちも親が…」という話が出てくるので、たぶんこれは僕だけの話ではないんだと思います。
この記事の短縮版を note にも出しています。